観測されてはじめて物事が決まる

時間と空間は捕らえ方が逆だと書いた。空間の方が時間的で、時間の方が空間的。

観測しているという行為自体が大きな意味を持っているので、そう思う。

観測している時間的空間的ポイントが原点となり、どのように事象をどう捉えようが観測者の自由。時間、空間、次元などは、どう捕らえようが自在で、宇宙が何次元であっても時間がどのように進んでも、空間がどう組み合わされていてもそれは、観測する側のマター。

一方で、いわゆる時間は記憶とか記録にしかなりえないし、その記録を呼び出し一定の処理をするにも時間自体が必要になる事実からして、時間が過去から未来へ流れていると錯覚しそうだが、そうではなくて、記録はいわゆる空間的な配置がされていると観測することもできる。これも自由。

ところで、太陽光が地球に到達するまで8分ほどかかるけど、これは、空間が8分間の記憶装置になっているということに他ならない。つまり、宇宙は、ほぼ光速で膨張しているのだからバックアップも不要な壮大なストレージシステムと考えることもできる。

ある観測者の未来は、既に発信されている(観測者にとっての8分後の太陽光は既に太陽を離脱している)と考えるのが当たり前だった。
しかし、観測されて初めて事象の形質が決定されるということが起こっているのも事実であって、観測によって過去は変化するのである。

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