よく情報の「咀嚼」なんていわれるけど、発信側の表現力と受信側の理解力にかかっていると思う。
コミュニケーションも発信受信の双方向キャッチボールなので、表現と理解の繰り返し。
うまく表現されたコンテンツであっても理解力が乏しければ消化不良になるし、舌足らずの表現でも、理解力のある受け手には正確に意図された内容が伝わることもあるだろう。
つまり、表現よりも理解の方が大切なことが分かる。
一方で、この理解とか納得というのは、本人が「分かった」という精神状態になっているだけで、その理解が表現者の意図や事実と必ずしも一致している必要がない。
このことは、成す術のない人間の欠陥である。
そして、この本人の「理解したつもり」と現実とのギャップが、憤懣、わだかまり、フラストレーションとして溜りにたまって、別の形で排泄される。
いわゆるネトウヨ、ネトサヨ化した部分っていうのが、排泄された汚物の溜り場じゃないだろうか。
自分の理解力の欠如を棚に上げて、お互いにフラストレーションを発散するだけの為に、自分が言いたいことだけを言い放ちあう不毛な異臭漂う空間。
これを解消するには、人間の欠陥である心情的な「理解」に頼らないこと・・・自分が正しいと思っていることは、間違っているんだと、理解?すること・・
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