事象は観測者側の能力に依存するのか

今の空間を切り取るとそれは全て過去だから空間は時間的で、一方で、未来に受け取る情報が、それぞれ今発信されていて、方向性を持つことから時間が空間的だと書いた。
やはり、どのように捕えようが、捕える側の自由ってことになるのではなかろうか。

とはいえ、捕えるという行為に時間が必要になるということがなんとも不思議な感じがする。人間の脳だろうが高速な演算処理だろうが、必ず一定の時間が不可欠。
当たり前すぎることなんだけど、物事を捕らえるのに時間が必要だというところに自由はない・・・・のであるが、思考停止、止まっている状態のままでいることも自由か。

人間は強制的に・・アプリオリに、止まっている状態にはない。
かといって、人間は「永遠」を体験することができないのに、止まっている状態こそが永遠に感じる不思議。

静止状態を外から見るとまさに永遠であって、永遠も静止状態から見れば静止しているということ。

これは、無限の空間は点であり、単なる点であっても無限の広がりを持たせることができるということになるわけで、このあたりは全て観測者側の能力に依存しているのではないだろうか。

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