言葉が直接的に世界を変え、未来を支えている。

「言語が世界を創造している。」というのも極端な言い方だけど、それもアリかと思うこの頃です。外界と感覚器官と脳と認識と言語の流れの中で、言語こそが世界を創造しているという視点です。

外界は森羅万象といってもいいのですが、この外界の真の姿は、あまりにも情報量が大きすぎて人間(脳)では全てを知ることはできません。情報を削りに削ってようやく知ることができています。

例えば、デーブルの上のリンゴでさえ、素粒子、原子、分子、DNA、細胞などなど人間の脳の許容を遥かに超える膨大な情報を保持しているのですが、人間はまず、テーブルとリンゴを切り離して、形と色だけから対象がリンゴであると知覚して疑いませんね。膨大な情報を無視するからこそ対象がリンゴであると認識できる。

つまり、感覚器官に与えられた刺激作用だけを何らかの意味ある対象として認識しているだけ。あくまでその感覚器官で捕らえた外界であって、真の外界とは異なりますね。

さらに言語となると「リンゴ」3文字は6バイトしか情報量はありません。リンゴのDNAは74億塩基対なので、ざっくりと2Gバイトありますから、ここだけで見ても数十億分の一の情報に削ぎ落としているということですね。

しかし、「リンゴ」という言葉が何を指し示しているかというと、人間が認識したリンゴはを通り越して、外界の真のリンゴを指し示しているんですよね。

これで、外界⇒感覚器官⇒脳⇒認識⇒言葉⇒外界の輪が完結します。
とはいっても、言葉が発せられると、言葉⇒感覚器官⇒脳⇒認識⇒記憶と繋がり、外界へ繋がることはないと思われてきました。

ところがです。量子論でみると、この人間の認識が直接外界と繋がっているとする結果が明確に得られはじめていて、極小の世界の話ではあるのですが、人間の意識が外界に直接影響を及ぼしているということになるんですね。

いわゆる存在論的や認識論的な問題がどうであれ、これまで考えられてきた人間の「認識」が「受動的かつ限界づけられている」に風穴が空き、「認識」こそが「能動的に創造していく」になってくるんですね。そして、その「認識」の「表現」の全てを言語だとするなら「言語が世界を創造している。」になりますね。

以上は、極論ですが、認識と表現としての言葉が外界へさえも影響を及ぼすのですから、言葉は、なるべく正確に使わなければならないし、無茶苦茶な使い方をすると、世界を滅ぼしかねないほどの影響力があるということになるんですね。

単なる言葉遣いのことのみならず、虚偽、騙し、暴言などが如何に世界を変容させてしまうか・・・

逆に、感謝、美、寛容、愛情などを伝える言葉が世界を豊かに彩るか・・・

「言葉が世界を変え、未来を支えている。」は、間接ではなく直接的なんですね。

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