過去は既にどこにもない。未来も未だ存在していない。「今」を切り取ったとき、刹那というかプランク時間の5.4×10−44 sの前後は一切存在していない。
(あらゆる時間が存在していて切り取り方次第であると観ることもできる。)
しかし、人間から観ると、あたかも「今」というある一定の時間の幅が存在していて、それが過去から未来へ流れているような実感が得られているのは、まったくもって驚異だと思う。このことこそが生物の最も優れた突出した能力であって、五感や感情、思考などのすべてがこの能力を土台にしている。
ある物事がその状態であるという記憶とそれがそうであるとする認識が継続する・・・・
認識が継続しているということで、生物は時間を消費?しているわけだけど、新たな情報の入出力も同時にこなしている。
コンピュータもマルチタスクで似たようなことをやっているのだが、決定的に違う部分が、「今」の幅の広さではないだろうか。
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