1980年頃だろうかコンピュータが浸透はじめて、皆が「コンピュータ解析」だの「コンピュータ診断」だのを如何にも正しく正確であるかのように錯覚していた時代がありましたね。
最近のAIの印象にも似たような錯誤があって、AIが人間の能力を超えたなんてニュースを聞くとまた「コンピュータ」と同じような状況になっているように思いませんか。
AIが将棋でプロ棋士に勝った、小説を書いた、競馬予想で連勝した・・・・とか。
でも、ほとんどが、多少の学習機能(失敗成功事例を考慮する)をもった従来と変わらないプログラムにすぎないことが多い。
やっぱり「AI」「人工知能」というからには、なんの条件設定もしていないのに、自ら小説を書き始めたり、絵を描き、作曲し始めたりしないと本物じゃない。
でも、もうすぐ本物のレベルに到達しそうですよね。
「AI」の自己認識は、どんなものなんでしょう。「AI」も「我思う故に我あり」と言うんだろうか。
小説を書いたり、アートしたり、ロボット化されればスポーツもするんでしょうから、自分の子供がほしいとか思うんだろうか。
そして、どんな宗教を信仰するんでしょう。クリスマスはパーティをして、初詣くらいは行ってもらわないと知能らしくありませんよね。
ついに、スクラップ置き場に「AI」の幽霊が出没するようになって、輪廻転生する人工知能もでてくるんでしょうね。(笑)
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