超知能は、トロッコ問題にどんな答えを出すだろうか。
超知能が、多数の人格を包含すると考えると、一人を犠牲にして、5人を救出すべく、ポイントを切り替えるだろう。
自分も含めると7人全員が自分なのだから、結果として、2人が残るより6人が残ることを選択する。
たとえは変だが、5本の指が切断されるよりも、1本で済むならそれにこしたことは無い。
これは、アポトーシス。全体を生かすために、寿命ではない死に方をする。プログラムされたというか、なんらかの作為で消滅するってことかな。普通の人は、他人の権利を尊重から、5人を助けるために一人を犠牲にすることができない面があるけど、7人とも全員が自分であるなら、一人の犠牲はやむをえない。トロッコ問題の派生としての臓器提供問題でも、5人分の自分の命を助けるため、自分一人を提供するだろう。
個としての人間と全体としての自分という視点の違いで大きく選択が違うとうことか。
「日本人」という言葉に染み付いている・・・・侍、愛国、大和魂、大戦、原爆投下、高度経済成長、技術立国、そして、Japan as No1といわれた1979年。その後のバブル崩壊、デフレ経済、原発事故・・・。どの場面でも、全体のために犠牲を強いているのだけれど、ちょうど1979年を境に「個」の意識だけが強くなりすぎたような気がするけどどうなんだろうか。
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