「今」「Now]とはなんだろうか。「今の時代」といったときは、この2~3年位の事を指すし、「今、出社しました」というとせいぜい5分。
「今、何時何分?」だと1分以内。
人間が、まさに現実として今を感じている時間幅は、どんなもんだろうか。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤー泣いて居た事丈は記憶して居る。」
「吾輩は猫である。」までなら実感として「今」じゃないだろうか。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」までなら、ギリギリ「今」としてもいい。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓と見當がつかぬ。」になると、「どこで生まれたか」あたりから「吾輩は猫である」は過去になる。
そうすると実感ある「今」というのはせいぜい2秒程度。おそらく目で見ているものも同じ程度じゃないだろうか。
ところで、人間の脳とコンピュータは、方式が全然違うので単純に比較できないけど、昨年、神経回路のシミュレーションでは、約5億の脳細胞の1秒間の機能をスーパーコンピュータが5分で再現していて、そのうち完全なシミュレーションも出来るようになるんだろう。
このあたりがいわゆるシンギュラリティに通じるんだろうけど、思うに、「時間」を正しく理解しないとうまくいかないような気がする。閉じられた世界の中では、如何に膨大な処理を行ったとしても出力は陳腐なものにしかならない。では、開かれた世界の入力とその処理なら、認識こそが森羅万象を形成するという不思議をぶち破る可能性が見えてきて、でもそれは、常に非常に狭い幅の「今」やるしかないんだから「今」をさらに上位の概念で捉えないと脳の完全な再現はできない芸当なのかもしれない。
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