科学や哲学の「発展」には限りはないが、科学にも哲学にも限界がある。
科学には人間の認識できる範囲という限界、哲学には言語で表現できる範囲という限界。
でも、物事が存在するから意識されるという順番を当たり前にしていたけれど、意識されるから存在するというパラダイムシフトが起こっていて、そうなると事情が一変する。
つまり、意識されて初めて物事が発生するのだから、人間は常に限界面に位置していて、その外側は我々が創造していることになる。
限界の外側だと思っていたことは、人間がこれから作り上げるってこと。そんなバカなことがあるかとは思うけど、そういう考え方がよく聞かれるようになってきた。
これまでも、意識されるから存在するものは、いろいろとあって「神」「魂」「愛」とかなんだろうけど、これらに「物質」「空間」「時間」も含まれるということにもなってきている。
一方でAI、シンギュラリティ。AIが独自に新しい世界観を創造する可能性もでてくるんだろうけど、超知能も人間が作り出している以上これらの限界を超えられないのか、限界に到達しているのか・・・・
はたして限界を意識した超知能は、果たして「神」を信じるのか・・・つまり、自分自身の限界の外側をどのように意識するんだろうか。
おそらく答えは、いたってシンプルで如何に知能が発達しても意識は単純な意識にすぎないということ。そして、物事は、この意識が生み出した意識自身の反射だということになるんじゃないだろうか。超知能であっても「神」を信じる場合があるし、世界を創造する力も持ちえるということ。
近い将来このあたりが解ってくるように思う。こういったことが解れば人間には、意識の「伸び」みたいなものがあるということの一つの証明なるのかもね。
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